「法」はあなたを守るーー窃盗罪の保護法益論より

日々思うこと

こんばんは~!

摂理の大学院生YUNOです。

 

今日は、「法」に関する話をしたいと思います。

 

 

みなさん

「法」というと、どんなイメージを持たれるでしょうか?

 

“自由を縛る”

“ややこしい、複雑、難しい”

 

ちょっとネガティヴなイメージではないでしょうか。

 

普段は、あって当然の「法」ですが、

「法」がなければ様々な場面で問題が起こります。

 

今日は、なぜ「法」がいるのかを話しながら、

なぜ神様は「法(御言葉)」を定めて、

「これはするな、これはしなさい」

と言うのかについて話したいと思います。

 

 法律クイズ  刑法235条「窃盗罪」

 

法律を解釈する上で、とても重要な視点は

「立法趣旨・制度趣旨」です。

 

“どうして、そのようなルールが定められているのか、

どんな権利利益を保護しようとしているのか “、

これを理解することが、法解釈の第一歩です。

 

今回は、より身近な問題を例に、

クイズを出したいと思います♪

 

今日取り上げるのは、

「窃盗罪」(刑法235条)についてです!

『窃盗罪の保護法益』という刑法の有名な論点について考えてもらいたいと思います。

 

 

刑法235条

他人の財物を窃取した者は、窃盗の罪とし、10年以下の懲役又は50万円以下の罰金に処する。」

 

まず、

今回問題となるシチュエーションを、

イメージしていただきます。

……

現在、自分は、知り合い・Aさんの家を訪れています。

自分の目の前には、とある「物」がある。

私は、これを取り上げて、自分のものにしたい…!

そして、、、

その衝動に駆られて、私は、この「物」を取ってしまった!!

……

こういうシチュエーションです。

 

この「物」が、仮に、

”Aさんが所有している腕時計”であれば、

間違いなく、「窃盗罪」が成立します。

 

しかし、この「物」が、

”2日目前に、Aさんに盗まれたばかりの自分の鞄

だった場合、どうでしょう?

これって、犯罪ですか?

紛れもなく、これは、自分の鞄なんです、

鞄の内側には、自分が手書きで書いたイニシャルだってあります。

 

この場合、

「自分の物なんだから、取り返すくらいOKじゃない??!」

と、思いませんか??

 

では、こういうケースにおいて、

窃盗罪が成立するのでしょうか…?

 

ここで登場するのが「法解釈」です!

刑法235条では、「他人の物」と規定されていますが、

ここでいう「他人の物」とは、一体どの範囲の物をいうのでしょうか?

“盗まれたばかりの自分の鞄”は、

「他人の物」(刑法235条)にあたるのでしょうか?

 

結論から言うと、「他人の物」にあたることになるんです。

つまり、その鞄を取ってしまった場合には、窃盗罪が成立するんですね。

 

この結論に対して、おそらく、多くの人が…

「悪いのは盗んだアイツ!、

どうして、私が、自分の物を取り返すのがダメなの?!

これだから~、法律って、変よね。」

と、そんな感想を抱くと思います。

 

しかし、このように「他人の物」をこのように解釈するのにも

ちゃんとした理由があるのです。

 

今回お話しする、『窃盗罪の保護法益』という論点は、

保護法益、すなわち

「窃盗罪」って一体何を守るものなん? という議論です。

大まかには、以下の二つの見解があります。

 

◆見解①:その物に対する権利(所有権など) を保護する

簡単にいうと……”他人のもん(所有物)を取ったらアカン!”

 

→この見解をとると、上記の鞄は、その知り合いの所有物ではないので、

「他人の物」にあたりません(=窃盗罪は成立しない)

 

 

◆見解②:占有権(その人が、その物を持っているという事実状態) を保護する

簡単にいうと……”今、他人の持ってるものは、とにかく取ったらアカン!”

 

現在、裁判所が取っている見解で、これによれば、窃盗罪が成立します。

 

 

では、なんで裁判所は、見解②をとっているのでしょうか。

 

その理由は、

①権利関係が複雑化したため 

…資本主義の高度な発達により、権利関係は複雑化し、必ずしも所有者がその物を支配・管理しているわけではない、という時代背景に配慮した理由付けです。

「所有者だから」という理由で、取り返し(取り上げ)が認められたら、

「あなたがお金は払うまで、この物は渡さんよ!」といえる権利(留置権(民法295条))などが無意味になってしまいますね。

 

②自力救済の禁止

…法治国家では、権利を侵害されたものがその回復を図るためには、法の予定する救済方式に従うべき、という理由付けです。

自力救済が広く認められれば、「取られ、取り返し…」があちこちで起こるようになり、無秩序な社会になってしまいます。

 

裁判所は、過去は見解①をとっていたんです。

しかし、戦後からは、時代の変化に伴い、見解②を採用するようになりました。

 

このように、窃盗罪の成否ひとつをみるだけでも、

法は、正当な権利者を守ろうとするため、

また秩序ある国家づくりのために、存在しているということが分かると思います。

 

 

 神様の法

 

聖書全体は、「するな」「しなさい」という法です。

聖書を読んでみて、御言葉を守ろうと思ったら、

「神様の方が多すぎて、意識して、身動きが取れない」

と感じてしまうかもしれません。

 

しかし、鄭明析牧師はこうおっしゃいました、

 

<法>は「秩序」だ。「公義」だ。

<法>は「神様」だ。「自分を守ってくれる保護者」だ。

神様は人間が「害になる道」にそれ以上行けないように、<網>を張っておいて、ご覧になる。

 

<神様の法(御言葉)>も、定めているからには意味があります。

守れば、人生を生きる上で受ける害や苦しみを避けることができるし、

また守らなければ、人生をどう行けばよいか分からないまま、失敗してしまいます。

 

<神様の法>の趣旨・保護法益、

考えてみると、本当に

「人間を愛しているから、ここまでおっしゃるんだなぁ」

と感じることが多いです。

 

神様の法は、自分を守ってくる<保護網>だ、と

そのように教えてもらったので、

「厳しい」というより、

「愛深いのだな」と認識を変えることができました。

 

<神様の法>を守っているうちに、

「あ、結局、幸せ掴んでる」と気付くようになります^^

 

「世の中の法」と「神様の法」、

それぞれ、どちらも法の趣旨・保護法益にかえって考えてみると、

とても面白いです。

 

 

 

投稿者プロフィール

yuno
大学院生。弁護士を目指して勉強中です。
最近のマイブームは、アロマ。大阪在住。