「対称性の破れ」からみる神様の性格

日々思うこと

物理の世界では「対称性」はとても重要な概念です。
対称性を一言でいうなら、ある対象に対してあれこれ操作をしてもその様子が変わらない性質です。
例えば、ボールを手で持ってどんなに回転させてもその形は球形のままです。
この様子を数学の言葉では「ボールは回転の対称性を持っている」と言います。

なぜ物理でこの対称性が重要なのかというとそれが各物理法則を決める要素になっているからです。
ボールを投げる時、ボールはどういう軌道を描くのかというのは力学の法則ーNewtonの運動方程式によって説明されます。
また電気・磁気を制御しようと思った時にはそれらを支配する電磁気の法則ーMaxwell方程式を知らなければいけません。
このように私たちの世界は物理法則によって支配されており、普段物理学者たちはそれを数学の言葉である「方程式」で表現します。
もちろん、この方程式の形は人間が勝手に決められるものではなく、天の神様が宇宙を設計される時に決められたものです。
そして対称性はその方程式の形を決める1要素になっており、どういう対称性がこの自然を説明する方程式を導くのかというのが専ら大きな問題です。

特に素粒子の世界まで突き詰めて考えてみたときには、対称性は素粒子の間にどういう相互作用が働くのかということを教えてくれます。
より正確には局所ゲージ対称性と呼ばれる対称性を系に課すことによって素粒子間の相互作用が自然に決まってしまいます。
この素粒子間の相互作用というのは身近なところでは電磁相互作用です。
局所\(\mathrm{U(1)}\)ゲージ対称性を課すことで理論に電磁気的な相互作用を素粒子の間に導入できます。
まるで対称性のスイッチをパチっと入れると素粒子の間に力が生じる、みたいな感じです。
基本的な相互作用はさらに3つあり、核反応(\(\alpha\)崩壊や\(\beta\)崩壊etc)を司る弱い相互作用、陽子や中性子を構築する強い相互作用、そして重力です。
それぞれが上のように対応するゲージ対称性を持っており、弱い相互作用は\(\mathrm{SU(2)}\)、強い相互作用は\(\mathrm{SU(3)}\)という対称性を持っています。
このようにして素粒子の世界はどうやら$$\mathrm{SU(3)\times SU(2)\times U(1)}$$という対称性のもとに動いてるらしいということをこれまで人類は突き止めてきました。

しかし、この話には実は続きがあります。
ゲージ対称性は上でお話ししたように理論へ相互作用を導入できる良い対称性なのですが、1つ致命的な問題があります。
それは素粒子に質量を持つことを禁止してしまうということです。
ところが私たちの世界は有限の質量を持つ粒子で構成されているのでこれは大きな矛盾です。
実際弱い相互作用の担い手であるW/Zボゾンと呼ばれる素粒子は実験的に約90GeVと約80GeVの質量を持っていることがわかっています。
そのため\(SU(2)\)ゲージ対称性は弱い相互作用を導入する一方で、それを媒介する素粒子の質量を0にしてしまうという点で問題があります。
それでもゲージ対称性は捨てがたい… どうにかしてゲージ対称性を保ちながら質量を理論に組み込むことはできないか?
このようにして考えられたのが「対称性の破れ」です。
そのシナリオはこんな感じです。
宇宙が誕生してまもない頃、宇宙は\(\mathrm{SU(3)\times SU(2)\times U(1)}\)の対称性を持っていました。
このときはゲージ対称性により全ての粒子は質量が0、つまり光速で行き交っていました。
しかし宇宙が冷える(=エネルギーが下がる)なかであるとき、上の対称性のうち\(\mathrm{SU(2)\times U(1)}\)の対称性が壊れて単に\(\mathrm{U(1)}\)という対称性になってしまいました。
これにより\(\mathrm{SU(2)}\)の対称性は壊れて弱い相互作用を媒介するW/Zボゾンは質量を獲得するようになりました。

\(SU(2)\times U(1)\)という対称性が“より小さい”対称性に移る現象を対称性の破れと言います。
ボールの話を思い出すと、サッカーボールのようなものだとこれは360°どう回転させても球形です。
ここでこのボールをラグビーボールのように変形させてみましょう。
するとある角度(例えば180°)での回転では同じ形になりますが、他の角度での回転ではもはや同じ形ではなくなってしまいます。
つまりボールは最初完璧な回転対称性を持っていたのに、変形したことで対称性が限定的なものに変わってしまいました。
この“より限定的な対称性”を小さい対称性と呼んで、大きい対称性から小さい対称性に移る現象を対称性の破れと呼んでいるのです。

このように、素粒子の世界ではもともとあった対称性が部分的に破れて今に至るということを見てきました。
どうしてそうする必要があったのかというと、それは素粒子に質量を持たせるためでした。
素粒子に質量がなければ星どころか石ころ1つもできません。
質量は今の宇宙を形作る上で必要不可欠な要素で、それを生み出すためにはより完璧な対称性を崩す必要があったのです。
神様が宇宙を創造される過程でせっかく作ったより綺麗な対称性を壊して今の宇宙を作ったということを考えると神様は大胆というかダイナミックな方だなと僕は思いました…!
神というと感情がなくて、ただ支配し司る存在みたいに思ってる方も多いかと思いますが、聖書の神様は人間のように感情豊かな方でいらっしゃいます。
聖書だけではなく、自然万物からも神様の性格(みたいなもの?)を読み取ることができるなと僕個人は思いましたが、少しでも皆さんとこの考えを共有できたならば幸いです…

投稿者プロフィール

素粒子兄弟
素粒子兄弟
素粒子物理学を研究しています。
物理学を「面白い学問」で終わらせないこと、そこから「人生のなかで核心となる精神」を学んで生きることが僕の哲学です。

素粒子兄弟

素粒子物理学を研究しています。 物理学を「面白い学問」で終わらせないこと、そこから「人生のなかで核心となる精神」を学んで生きることが僕の哲学です。

プロフィール