神様の御言葉と群の表現

日々思うこと

摂理の中で今も牧師先生の御言葉を学んでいる人たちは皆こういうことを思ったことがあるはずです。
「御言葉の時間、みんなに同じ内容の話をしているのにそれが各自がぶつかっている問題の答えになるというのは不思議だな」
先生のある日の御言葉を聞いて自分は「この問題の答えだ!」と思っていると、全く違う問題にぶつかっている別の人にとってもその御言葉が答えになっていたりします。
また今も聖書の言葉は神様の言葉として全世界の人たちがそこに人生哲学の答えを見出しています。
どうして神様はある時一言話しただけなのに、それが群衆たちが個々に抱える問題の答えを与えることができるのでしょうか?
これと似たようなことが“群論”と呼ばれる数学にも見られるので今回はそれを紹介します。


まず、群論つまり群とは何かということを話しておきましょう。
群論は数学の中でも代数学という分野に属する理論です。
数学や物理学の中では四則演算はもちろん、行列の演算や微分積分など演算と呼ばれる計算がたくさん出てきます。
種々の演算の性質(構造)を調べ、それらの本質を見抜くというのが群論のモチベーションと言ったところでしょうか。
群論のスタート地点になるのはある集合(整数とか有理数とか)に対して2項演算子を定義するところからです。
二項演算子とは考えている集合の中から任意で2つの元(要素)をとってきて、それらの間に働く計算のことです。
例えば足し算とかはその良い例です。
\(A+B\)というのは(例えば)整数集合の中から2つの整数\(A\)と\(B\)を持ってきてその和をとるという計算をしていて、この場合+というのが二項演算子にあたります。
(群論をはじめとする抽象的な数学はこういう風に例を見つけたりイメージを作ることが大事です)
より一般に二項演算子は\(*\)とか\(\circ\)とかで表され、省略される場合も多いです。
また二項演算をした結果もまた集合に含まれるつまり$$^{\forall}x,y\in G\ \ \ \ x\circ y\in G$$である場合、この二項演算\(\circ\)は集合\(G\)に対して閉じていると言います。
これを踏まえてようやく群を定義できます。
考えている集合\(G\)において閉じた二項演算\(\circ\)が定義されていて、
1. \(^{\forall}x,y,z\in G\ \ \ \ \ \left(x\circ y\right)\circ z=x\circ\left(y\circ z\right)\)  :結合則
2. \(^{\exists}e\in G,\ ^{\forall}g\in G\ \ \ \ \ s.t.\ \ e\circ g=g\circ e=g\)  :単位元の存在
3. \(^{\exists}g^{-1}\in G,\ ^{\forall}g\in G\ \ \ \ s.t. \ \ g^{-1}\circ g=g\circ g^{-1}=e\)  :逆元の存在
を満たすとき、この集合\(G\)をと定義します。


この公理を満たす集合は全て群と定義されるので、実際には群はたくさんあります。
例えば整数集合は足し算に対して群を成していて(単位元は0、逆元は符号を逆にした数、結合則は自明)、これを加法群と言います。
他にも様々な群がありますが、特に物理では連続群・離散群というのがとても大事な群です。
特に今回は連続群(Lie群とも呼ばれます)について見ていきましょう。
Lie群は基本的に変換の集合ですが、各元(各変換)が連続なパラメータで指定される群を言います。
代表的なものに回転群があります。これは名前の通り回転変換を元に持つ群です。
回転させると言った時に「60°回転させて」とか「180°回転させて」と言いますよね。
この”回転角”というのが各回転変換(60°の回転とか180°の回転とか)を特徴付けるパラメータになっています。
直観的にもわかるように角度というのは連続に変化することができて、「0.00001°回転を繰り返して合計で60°回転させる」みたいなことも考えられます。
そしてLie群の元は一般に指数の形\(e^{\theta T}\)で表されます。
ここで\(\theta\)は連続的な実数パラメータ、\(T\)は連続変換を与える行列で生成子と呼ばれます(Taylor展開すると\(T\)のベキで作られていることがわかると思います)。
さて、Lie群において元同士の積(二項演算)を考えるとどうなるでしょうか。
(ここでは二項演算は一般的な行列の積とします。)
実はその結果を教えてくれる公式があって、それは以下のような感じです。$$e^{X}\circ e^{Y}=e^{X+Y+[X,Y]+\cdots}$$これはCampbell-Baker-Hausdorffの公式と呼ばれており、ここで\([X,Y]\equiv XY-YX\)です。
何を言っているかというと指数の肩が普通の数の場合は\(e^{X}e^{Y}=e^{X+Y}\)となることは有名ですが、指数の肩が行列の場合は\(X\)と\(Y\)が可換\([X,Y]=0\)である時にだけ同じように\(e^{X}e^{Y}=e^{X+Y}\)となるということです。
そしてもう一つ重要なことはLie群の元同士の演算は二項演算\(\circ\)というよりも根本的には生成子同士の演算\([X,Y]\)が決めているということです。
そのためLie群では群の構造を握っている生成子の代数(Lie代数\([X,Y]\))に着目します。


ここまでは群論の基本的な事項ですが、ここから群の”表現論”と呼ばれる話に入っていきます。
実は群はとても抽象的な概念です。
特に今回はLie群の中でもSU(2)という群を考えてみましょう。
SはSpecialのSで、元(変換行列)の行列式が1であるという条件があることを示します。
UはUnitaryのUで、元はユニタリ行列であることを示しています。つまりSU(2)とは$$\{a\ |\ a^{\dagger}a=\boldsymbol{1}\ ,\ \det{a}=1\}$$を満たす変換の集合です。
SU(2)の元ももちろん指数形\(e^{i\theta^{a}T_{a}}\)で表されます(\(a=1,2,3\)で和がとられている)。
そしてLie代数は$$[T_i,T_j]=i\epsilon_{ijk}T_{k}$$で与えられます。
さて、変換というからにはSU(2)の元は何か具体的な行列の形があるはずです(その行列がベクトル等に作用して変換する)。
それではSU(2)の変換行列のサイズはいくつにとれば良いでしょうか?
とりあえず2でとってみた場合をみてみると、SU(2)の生成子は$$T_1=\frac{1}{2}\left(\begin{array}{ccc}0&1\\ 1&0 \end{array}\right)\ ,\ T_2=\frac{1}{2}\left(\begin{array}{cc}0&-i\\ i&0 \end{array}\right)\ ,\ T_3=\frac{1}{2}\left(\begin{array}{ccc}1&0\\ 0&-1 \end{array}\right)  :Pauli行列$$ととるとこれらは上のSU(2)のLie代数を満たします。
これらが指数の肩に乗ることでSU(2)は2×2行列として振る舞います。
しかし実は変換行列のサイズを規定するルールはありません。実際に生成子を3×3行列$$T_1=\frac{1}{2}\left(\begin{array}{ccc}0&1&0\\ 1&0&1\\ 0&1&0 \end{array}\right)\ ,\ T_2=\frac{1}{2}\left(\begin{array}{ccc}0&-i&0\\ i&0&i\\ 0&i&0 \end{array}\right)\ ,\ T_3=\frac{1}{2}\left(\begin{array}{ccc}1&0&0\\ 0&0&0\\ 0&0&-1 \end{array}\right)$$で与えても同じくSU(2)Lie代数を満たします。
つまり、SU(2)Lie代数の”構造”を満たしているような生成子によってSU(2)は文字通り生成されるのであって、そこに行列のサイズなどは関係ないのです(SU(2)は2という数字がついていながらも3×3行列やもっと高階な行列が変換行列として振舞う)。


これはSU(2)のみならずLie群一般に言えることで、Lie代数を基盤として無数の生成子の組を考えることができます。
例えば2×2行列の生成子の組を使うと2×2行列の変換を考えることができるし、3×3行列の生成子の組をとると3×3行列の変換を考えることができます。
このようにLie代数を基盤として得られる各変換行列のことを表現と呼びます。
つまりSU(2)の場合に話を戻すとLie代数\([T_i,T_j]=i\epsilon_{ijk}T_{k}\)を基盤として$$T_1=\frac{1}{2}\left(\begin{array}{ccc}0&1\\ 1&0 \end{array}\right)\ ,\ T_2=\frac{1}{2}\left(\begin{array}{cc}0&-i\\ i&0 \end{array}\right)\ ,\ T_3=\frac{1}{2}\left(\begin{array}{ccc}1&0\\ 0&-1 \end{array}\right)$$で生成される変換が一つの表現になり、また一方で$$T_1=\frac{1}{2}\left(\begin{array}{ccc}0&1&0\\ 1&0&1\\ 0&1&0 \end{array}\right)\ ,\ T_2=\frac{1}{2}\left(\begin{array}{ccc}0&-i&0\\ i&0&i\\ 0&i&0 \end{array}\right)\ ,\ T_3=\frac{1}{2}\left(\begin{array}{ccc}1&0&0\\ 0&0&0\\ 0&0&-1 \end{array}\right)$$で生成される変換もまた一つの表現になるという感じです。
このようにLie代数が核になって無数の表現を考えることができるのです。
(正確には変換行列とそれが作用するベクトル空間をセットで表現という)


長くなりましたが、最初の話に戻りましょう。
どうして神様は一言で群衆に個々が抱える問題の答えを与えることができるのか。
それは群の表現に似ていると思います。
Lie群の場合Lie代数が核になって無数の表現が”派生”させることができます。
これと同じように神様の御言葉も核心的なメッセージは1つでも、
それを中心にして多くの表現を与えることができているから数万の人が同じ話を聞いても、千差万別な答えを皆が受けられるのではないでしょうか。
御言葉を話される神様を見ているとどこか共通した基本理念みたいなものがあるように感じ、
やはりこの方が数学や物理学といった自然科学も創られたのだなと思うのです。

投稿者プロフィール

素粒子兄弟
素粒子兄弟
東北大で素粒子物理学を研究しています。
物理学を「面白い学問」で終わらせないこと、そこから「人生のなかで核心となる精神」を学んで生きることが僕の哲学です。

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