セミとあの夏の記憶
暑い日が続きますね
とうとうセミが鳴く季節になりました
セミが鳴き始めたなぁと思っていると、数日後には、路上で倒れているセミの姿を見るようにもなります。
彼らの地上での活動時間は短く、約1週間と言われていますね。
今年も、セミの鳴く声と、そしてその喧騒の中、地に落ちたセミの死骸を目にしながら、
子どもの頃を思い出しました。
昔、1週間鳴き続けて、その後、死にゆくセミを見ながら、
「お前の一生は短いな、何のためにある人生なのか?」とセミの人生を虚しく思ったことがありました。
また、そのようにセミを見ながら、自分自身も
食べて寝て、時間を過ごせば、いずれは死にゆく存在なんだと思うと、人生が虚しく思えました。
人生に目的があるのか?
なぜ人間は、人生の目的を求めるのか?
目的をもとめるのは脳が発達したからであり、自分が生きる目的はないのか?
と、留めない疑問が溢れ出たのを覚えています。
父親からは、
「なぜ生きるのか考えすぎるな。あまりに思いつめると、結局、宗教に行ってしまうから」
と、曖昧に諭されました。
おそらく父親は、暴力的な思想を持った宗教団体が暴走している社会の状況を見て、
自分の息子がそのような間違った思想に陥らないように親心で話してくれたのだと思います。
「宗教」とは、おおもとを教えると書きます。
人生の目的、なぜ生きるのかという疑問を突き詰めると、
「人生の目的なんてない。動物と一緒だ」と考えない限りは、「宗教」の領域にたどり着いてしまいます。
「動物と一緒だ」という考えを理論的には採っている人はいるかもしれませんが、
本当に動物のように、食べて寝て欲に任せて生きている人など、一人もいないでしょう。
誰もが、大小なりとも、「自分が生きる意味を見つけたい」「意味がある人生を生きたい」と思わずにはいられないのです。
しかしながら、一方で 「宗教」は避けたい と考えるので、
人生の意味や根本的な生きる目的については、
自分を「なんとなく」納得させる程度に、自分が苦しくならない程度に、
考えて済ましてしまいます。
本当にそれでいいのでしょうか?
僕は、どういう進路を歩むか、ライフプランを計画するかを考えた時、
根本的にその疑問を払拭しないまま、突き進むことができませんでした。
だって、一度きりの人生じゃないですか?
絶対、「自分の人生の目的」は、追求して、見つけて生きていくべきです。
そして、その答えは、摂理の中にありました。
自分のこれまで疑問を解く答えが摂理の御言葉にあったし、
自分がなりたいと思っている姿で、かっこよく人生を生きている人たちが摂理にはいました。
セミを見ながら、
あの昔の疑問や悩みは、自分が摂理に導かれたことによって解かれたのだなと、思い返すようになりました。
神様は、過去の小さな悩みも見逃さず、解いてくださいます。
神様が、私を摂理に導いてくださったことに感謝するしかありません。
投稿者プロフィール
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大学院生。弁護士を目指して勉強中です。
最近のマイブームは、アロマ。大阪在住。
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