「神様の愛っていいな。」~後編~
昨日は、僕が摂理に来る前、どんな人だったのか書かせていただきました。
今日は、その続き!
大学に入学してからも、高校の時の彼女と遠距離恋愛を続けていました。
大学1年生には、結構多いパターンですよね。
なるべくLINEで連絡を取り合って、お互いの状況をシェアする…などして、他の遠距離組よりも長く続いていたと思います。
しかし、毎日直接会っていた頃とは違い、電話では相手の様子や雰囲気もよく分からないし、
また自分の思いも上手く伝えられなかったのが、とてももどかしかったです。
「プラトニック・ラブ」の限界を感じる毎日でした。
(ここでは、「心と心の精神的な恋愛」のことをプラトニック・ラブと呼んでます)
前述のとおり、「真の愛(完全な愛)」があるのか探求していた僕としては、
相手を「完全な愛」で最後まで愛してあげたいな、と思っていました。
しかし、そんな高尚な目標を抱きつつも、いざ相手に直接会えなくなると
相手への思いが、日に日に薄くなっていっていることに気が付きました。
「あぁ!いくら相手を愛したいと思っても、結局、肉体が離れると「完全に愛する」ことなんて不可能なのか!」
と、人間が人間を愛することの限界を感じました。
この時、「完全に愛する」ことも、「完全に愛される」ことも、結局、夢物語だったんだな…と思いました。
そんな遠距離恋愛を続けているときに出会ったのが摂理の御言葉でした。
はじめに聞き始めた動機は自己啓発的なものでしたが、
御言葉を聞いてみると、僕が探していた「完全な愛」がそこにありそうで心が惹かれました。
御言葉を聞いてみると、<神様>が以下のような存在であることが分かりました。
・<神様>は、肉体を持っておらず、霊の体で存在するから、目に見えるわけではない。
・全知全能である。
・人間を愛している。
・愛するがゆえに、24時間、炎のような熱い眼差しで人間を見ていて、働きかけている。
そして、僕に、御言葉を伝えてくれていた人はこう話しました、
「神様は、いつも共にしてくださっているから、呼んでみてね」
御言葉を聞き終わって、一人暮らしの家に帰りました。
何気なく、ベットの上に寝転がった時、ふと先ほど言われたアドバイスを思い出しました。
…せっかくだから、一度やってみようと思い、
目をつぶって、一言呼んでみました。
「神様」
すると、どことなく、神様が自分のそばにいるような感覚がしました。
神様は「霊」と聞いたけれど、
幽霊のような怖くて不安になるような感じはなく、
むしろ、全身を毛布で包まれているような温かい感じでした。
もちろん、その時、神様の存在を確信したわけではありません。
しかし、「もし神様が本当にいるんだったら、いいな」と思いました。
もし、神様がいれば、24時間、どこでも、実体を感じながら愛することができる。
「完全な愛」って、人間との間は無理だけども、神様との間ならなせるんじゃないか?
そう可能性を感じました。
また、24時間、自分のことを愛して、共にしようとしてくれる人がこの世の中にいるでしょうか?(笑)
もし、自分をそんなに愛してくれる存在がいるんだったら、正直嬉しいな、と思いました。
遠距離恋愛の彼女も、僕のことを大切にしてくれてはいましたが、新生活にフィックスしようと自分のことで精一杯でした。
決して、その彼女を非難したいわけではありませんが、
「神様の愛」と「人間の愛」には天地の差があるように感じたのは、否定できない事実です。
このように考えながら、「もし本当に神様が存在するんだったら確かめたいな!」という動機が徐々に湧いてきて、続けて御言葉を学ぶようになりました。
今思えば、
ベッドの上で「神様」と呼んだあの時が、
僕が神様を愛するようになった、<初恋>の瞬間ですね。
過去の経緯を書きながら、どれだけ神様が僕の人生を導いてくださっていたのか、実感するしかありません!
「真の愛」「完全な愛」に出会えた僕の人生、神様に心から感謝したいと思います。
ここまで、僕が「神様の愛」に惹かれるようになった経緯、
その最初のエピソードを、真実に書いてきました。
昨日と今日で、どれほど「愛」「愛」言ってきたことでしょうか(笑)
それでは、明日は「愛」について、実際に僕がどんな御言葉を学んだのか、
それについて、書いていこうと思います。
鄭明析先生が伝えてくださった、神様の「愛論」
お楽しみに☆
投稿者プロフィール
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大学院生。弁護士を目指して勉強中です。
最近のマイブームは、アロマ。大阪在住。
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