摂理は壺を売っていると思っている人と話しました

日々思うこと

キリスト教系信者の方と話す機会がありました。

その子は○○という教派に所属していました。

信仰を持ったのは大学生になってからだとか。

その子の通っている教会の話や導かれた話など聞いて、お茶をしていました。

話の中で、摂理の話も出てきました。

お!摂理に対してどんなイメージを持っているのかな?

と、気になって口を出さずに聞いていました。

すると、その子の口から

「摂理は壺を売っている」

という話が。

壺なんて買ったことないし!(笑)

しかも、なぜ、壺?(笑)

壺じゃなくても何かを買わされたりとか、お金をだまし取られたりとか、

摂理に来て7年が経とうとしていますが、一度もそんなことはなかったです。

むしろ、経済的に生活が苦しくなった時とかは、兄弟が食べ物を恵んでくれたりと助けてくれることのほうが多かったです。

また、

「摂理は一人の人を崇めている」

という話まで。

え、どこからそんな情報が?

いっさい、そんなことないのにな。

鄭明析先生だって、

「ひたすら神様、ひたすら主」

という哲学で、私たちに神様のことを一番に証しています。

この話をしてきた子は、通っている教会の先輩からこの話を聞いたようです。

私はその子に摂理で信仰生活をしているという話は結局する機会と時間がなく、

摂理への誤解を解けないままでいます。

今度、また会う機会を持てたらいいなと思っています。

その時には摂理はそんなところじゃないと言って、誤解を解いてあげたいです。

知らないと誤解していることにも気づかないから恐ろしいです。

 

人は「知って一日、あるいは瞬間行なったこと」が「知らずに10年間行なったこと」よりまさる。
2017年2月25日明け方の箴言から

 

どこの教派が良い悪いとかは全く言うつもりもありません。

ただ、どんな教派なのか正しく、真実なものだけを知るって大事なことだと思うんですよね。