否定的な考えをなくすために②

日々思うこと

昨日に引き続き、他人に対して抱いてしまう否定的な考えを無くすために原因と直し方について祈りながら考察しました。

今朝の明け方の祈りで切実に祈りました。

今日は他人が失敗した時に否定的な考えを持ってしまうことについて、考えました。

他人が失敗した時はこのような感情が湧き出てしまいます。

・なんで、できないのか

・ちょっと考えたら分かるだろ!

などなど。

自分が失敗した時は見逃してくれえ~と思うのですが、人の失敗に対しては見逃せなくなってしまうのが私の直すべき性格だと痛感しております。

自分もできていないのになぜ人のミスが気に障るのかなと不思議に思います。

お祈りしながら分かったことがあります。

むしろ自分ができていないことを自覚しているから、同じようなミスをする人がいると目立って見えるのです。

気づく人が気づくのであって気づかない人は気づきません。

自分のミスだと自覚しているからこそ、他人のミスにも気づけるのです。

一概には言えませんが、ミスを自覚していなければ、きっと他人のミスをミスと気づかないのだと思います。

だからといって、気づかなければいいのかと言われればそれも違うと思います。

敏感さ、繊細さは必要だし、それがあってこそ次元を高められます。

次元を高めれば高めるほど繊細さと敏感さは養われていくものなので、大事なことは、

他人のミスを認めて、許してあげることです。

私にはまだまだこの器が足りません。

聖書ではイエス様がペテロに何回でも許しなさいとおっしゃいました。

そのとき、ペテロがイエスのもとにきて言った、「主よ、兄弟がわたしに対して罪を犯した場合、幾たびゆるさねばなりませんか。七たびまでですか」。

イエスは彼に言われた、「わたしは七たびまでとは言わない。七たびを七十倍するまでにしなさい。

マタイによる福音書18章21-22節

また、ヨセフもエジプトにわが身を売られた兄弟たちを13年後に許したというエピソードもあります。

神様はこういう許す精神を持った人物を使ってこられました。

許す歴史が旧約新約と流れてきたからこそ、今の歴史があるのですね。

許すことも自然とできるようになるわけではないから、自らが意識して直して身の回りから平和を作っていくことに挑戦します。

平和を作り出す人たちはさいわいである。彼らは神の子とよばれるであろう。

マタイによる福音書5章9節