心の貧しい者はさいわいだ

学生生活

こんにちは!摂理の大学生Koyaです。

自分の足りなさを感じて気分が沈んでしまう人も多いと思います。

私も教会での仕事や大学の研究をしていると、もっとうまくできるはずなのに~と毎日のように自分を責めることが続いていました。

このような状況下でしたが先ほど聖書を読んでいて勇気づけられた箇所があったので、紹介します。

あなたがた貧しい人たちは、さいわいだ。神の国はあなたがたのものである。
あなたがたいま飢えている人たちは、さいわいだ。飽き足りるようになるからである。
あなたがたいま泣いている人たちは、さいわいだ。笑うようになるからである。
人々があなたがたを憎むとき、また人の子のためにあなたがたを排斥し、ののしり、汚名を着せるときは、あなたがたはさいわいだ。
その日には喜びおどれ。見よ、天においてあなたがたの受ける報いは大きいのだから。彼らの祖先も、預言者たちに対して同じことをしたのである。
ルカによる福音書6章20~23節

聖句の冒頭の「貧しい人たち」は心の貧しい人たちのことを指します。

つまり、満足していない人のことを言います。

なぜ、このような人がさいわいなのかと言うと、心が貧しいと「求める心」が生じるからです。

人は真理を得てこそ本当の自由を得ますが、神様は公義なのでいつも「求める人」に真理をくださいます。

求めているかどうかは行ないを見れば分かります。

また、求める人は現状満足をしないので、大変でも続けて次元を上げていきます。

結局、心の貧しい人は理想的で大きいものを得るようになるのが神様の法則です。

鄭明析(チョンミョンソク)牧師も今週の主日の御言葉でおっしゃいました。

楽なことが、幸せなことではなく、得る方法ではない。

苦労しても心を尽くして行なう人が一番速く得て、一番たくさん享受するようになる。
鄭明析牧師の主日の御言葉

現在、大変で辛い人もこの言葉を見てぜひ元気を出してください!

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