キリストに香油を注いだ女~神様をたくさん愛せるようになる秘訣~

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こんにちは!摂理の大学生Koyaです!

 

神様を愛しているのだけど、なんか愛の次元が上がらないなーとか思っていたのですが、聖書を読んでいたら一つの答えをもらいました。

 

皆さんも信仰生活をしていると、神様を愛したいけど、どうすればいいかわからない!という時期もあったのではないでしょうか?

 

また、今その壁にぶつかっている人もいるのではないでしょうか?

 

この聖句に答えがありました!

 

あるパリサイ人がイエスに、食事を共にしたいと申し出たので、そのパリサイ人の家に入って食卓に着かれた。

するとそのとき、その町で罪の女であったものが、パリサイ人の家で食卓を着いておられることを聞いて、香油がいれてある石膏のつぼを持ってきて、

泣きながら、イエスのうしろでその足もとに寄り、まず涙でイエスの足をぬらし、自分の髪の毛でぬぐい、そして、その足に接吻して、香油を塗った。

ルカによる福音書7章36~38節

 

イエス様がパリサイ人に家に招かれ、食事をとっているシーンです。

 

食事の最中、突如現れた女性がいたのですが、この女性はその町では罪を犯していた人です。

 

その女性が家に入ってくるやいなや、イエス様に近づき、自分の涙でイエス様の足を洗い、自分の髪で拭きました。さらに足にキスもしたのち、部屋にあった香油を塗りました。

 

クリスチャンたちの中では有名なシーンですよね。世間にはたくさん絵も残っています。

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私がこの箇所を初めて読んだ時は何でこんな変なことをしているのだろうかと疑問に思っていました。

 

罪を犯しているから、頭が変なのかなと思っていた時期もありました。

 

しかし、続けて聖書を読んでいると、この女性の行動を理解することができます。

 

 

イエスを招いたパリサイ人がそれを見て、心の中で言った、「もしこの人が預言者であるなら、自分にさわっている女がだれだか、どんな女か分かるはずだ。それは罪の女なのだから」。

そこでイエスは彼にむかって言われた、「シモン、あなたに言うことがある」。彼は「先生、おっしゃってください」と言った。

イエスが言われた、「ある金貸しに金をかりた人がふたりいたが、ひとりは五百デナリ、もう一人は五十デナリを借りていた。

ところが、返すことができなかったので、彼はふたり共ゆるしてやった。このふたりのうちで、どちらが彼を多く愛するだろうか」。

シモンが答えて言った、「多くゆるしてもらったほうだと思います」。イエスが言われた、「あなたの判断は正しい」。

それから女の方に振り向いて、シモンに言われた、「この女を見ないか。わたしがあなたの家にはいってきた時に、あなたは足を洗う水をくれなかった。ところが、この女は涙でわたしの足をぬらし、髪の毛で拭いてくれた。

あなたはわたしに接吻をしてくれなかったが、彼女は私が家にはいった時から、わたしの足に接吻をしてやまなかった。

あなたはわたしの頭に油を塗ってくれなかったが、彼女は私の足に香油を塗ってくれた。

それであなたに言うが、この女は多く愛したから、その多くの罪はゆるされているのである。少しだけ許された者は、少しだけしか愛さない」。

そして女に、「あなたの罪はゆるされた」と言われた。

すると同席の者たちが心の中で言いはじめた、「罪をゆるすことさえするこの人は、いったい、何者だろう」。

しかし、イエスは女にむかって言われた、「あなたの信仰があなたを救ったのです。安心して行きなさい」。

ルカによる福音書7章39~50節

 

この女性の行動はキリストに対する愛の表れだったんですね。

 

 

 

 

さて、私はこの聖句を読んで、一つ決心したことがあります。

 

記事タイトルに「神様をたくせん愛せるようになる秘訣」と書きましたが、一言で言えば、たくさん許された人がたくさん愛せるようになるのです。

 

もっと言えば、たくさん許されたと気付いた人がたくさん愛することができます。

 

香油を塗った女性は、覆いきれない自分が犯してきたたくさんの罪をキリストによって許されたことへの感謝と愛を上記の聖句のような行動で表しました。

 

その心の内を分かっていたイエス様は金貸しの譬えを用いてペテロにたくさん許された人がたくさん愛すること教え、女性に「あなたの信仰があなたを救った」とおっしゃいました。

 

この場面、深いですね!感動ものです。

 

たくさん許されていることに気づけるように頑張りたいとおもいます。

 

許されたことに気づくためには、自分が罪を犯していた自覚を持たないといけませんよね。

 

先ずは、自分がどんな罪を犯してきたのか、祈りながら考えてみたいと思います。

 

そして、どんな風に許されたのか、主に尋ねて、もっと神様と主を愛せるようになっていこうと思いました。

 

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