高校の後輩と野球対談 「結果が全て」

スポーツ

昨日の就活イベントの後に慶応大学野球部の1年生の子に会ってきました。

この子は我が高校の後輩。

一年前に高校にお祈りしに行った時にたまたま会った子でした。

去年の春に慶応大学に入学していきなりレギュラーを勝ち取っていたので、充実した一年だったと言っていましたね。

体もプロ野球選手みたいにガッチリしていて男らしくかっこよくなっていましたね。

ポンソクさんがウォルミョンドンで摂理の人たちは神様の御言葉を聞いているのだからどうせなら見た目もかっこよくあるべきですとおっしゃっていたのを思い出しました。

摂理の男性たちはあれくらいの体格を目標に体を作っていくべきなのかなと思いました(笑)。

その後輩の子とご飯を食べながら対話していたのですが、一流の世界でスポーツをやっていると精神的な面で真理を持つようになりますよね。

その子が言っていた一言で刺激を受けたのが

”結果が全て”

という一言でした。

この言葉からして自分に対してストイックに鍛えている様子が伝わってきました。

いくら努力したと自分で言っても、結局、結果にならなければ意味がないし、本当に努力していれば必ず見てくれている人が弁護してくれるから自分で努力していることを言う必要はないという見解を述べていました。

今年、2017年の摂理の標題は”実践”です。

そして、実践すれば全ての問題が解決されるとおっしゃいました。

高校の後輩の考え方を聞いて、今年の摂理の方向性にもピッタリ合っているのを感じました。

神様は心を中心になられるのはもちろんです。

それに合わせて、やっぱり結果もほしいのは事実です。

どのようにしたらたくさん働いたかが分かるかというと、たくさんやったと言いますが、やっておいたその結果がなければなりません。

たくさんやったと言うならば、やったことを見せてくれということです。それがたくさん働いたしるしです。

2005年7月4日の明け方の御言葉 『遊ばないで働きなさい』から

対話の時間をもって、自分自身とても刺激を受けましたし、神様と主を愛する実践を結果が見えるまで努力していこうと決心した時間になりました。

後輩にはぜひ、プロに入ってほしいです!応援しています!