心の畑を耕しいざ就活

日々思うこと

こんにちは!koya です!

 

大学院の1年生ということもあり、就職活動もぼちぼち始まってきました。

 

先日も企業説明会に行ってまいりました!

 

僕みたいな幼い人間でももう社会人になるのかーと学生が終わろうとする切なさを感じる反面、ついに社会人の一員になるんだという期待もあります。

 

周りの就活生は企業がほしがる人材がどんな人なのかとても気になっています。

 

僕も摂理の社会人の先輩からも今までたくさん話を聞いてきたのですが、確信して言えるのは、心の畑がいい人だということです。

 

心の畑がいいというのは、すでに実や果樹が生い茂っている畑ではなくて、これからなんでも植えれば育てることのできる広い肥沃な畑のような心だということです。

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↑こういうすでに何か植えられている畑よりも、

 

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何もないけど、広く肥沃な土地のほうがいいとのこと。

 

つまり、すでにスキルや資格をたくさん持っている人よりも、人格が磨かれており、従順さや柔軟性を持っている人のほうが、欲しがられるということです。

 

何も持っていなくても心の畑が肥沃な人のほうがいいですよね。

 

もちろん、聖書にもそう書かれてある箇所があります!

 

マルコによる福音書4章14~20節

種まきは御言をまくのである。

道ばたに御言がまかれたとは、こういう人たちのことである。すなわち、御言を聞くと、すぐにサタンがきて、彼らの中にまかれた御言を、奪って行くのである。

同じように、石地にまかれたものとは、こういう人たちのことである。御言を聞くと、すぐに喜んで受けるが、

自分の中に根がないので、しばらく続くだけである。そののち、御言のために困難や迫害が起ってくると、すぐつまずいてしまう。

また、いばらの中にまかれたものとは、こういう人たちのことである。御言を聞くが、

世の心づかいと、富の惑わしと、その他いろいろな欲とがはいってきて、御言をふさぐので、実を結ばなくなる。

また、良い地にまかれたものとは、こういう人たちのことである。御言を聞いて受け入れ、三十倍、六十倍、百倍の実を結ぶのである。

 

 

この聖句は心の畑がどれくらい耕されているかによって御言葉を悟れるかがかかっているといった内容です。

 

もちろん、御言葉以外のところでも同じことが言えると思います。

 

 

神様はこのような人を使いたいと思っているのだから、一般企業もきっとそのような人を採用したいのではないでしょうか!

 

企業で活躍したい気持ちはもちろんありますが、やっぱり一番は神様に尊く使われていく人生にしていきたいです!

 

心の畑を耕して主が使いやすいような人格にどんどん磨いていきたいものです。