”最後まで”やる意味

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こんにちは、摂理の大学生Koyaです!

 

「最後までやる」ことの重要性は誰もが子供の時から教えてもらったはず。特に部活などでスポーツをやっていた人はこの「最後まで」の精神は当たり前のように身に付いている人も多いのではないでしょうか?

 

鄭 明析先生の「最後まで」の精神は本当に凄まじいです。神のレベルです(笑)。

 

私も野球を高校までやってきて最後までの精神には自信のある方でしたが、鄭 明析先生の「最後まで」の精神を学んでからは、自分はまだまだ小さい男だと認めるしかありませんでした。

 

先生の「最後まで」の精神を学ぶのに欠かせないエピソードはなんといっても月明洞の野心作建築の話です。

 

野心作を積み上げるまでに5回も崩れ、6回目に完成したのですが、なぜそんなにも崩れたのか、先生は積み始めてから18年経って初めて悟るようになりました。

 

昨日の水曜礼拝の御言葉を引用しますと、

 

月明洞の<野心作>は「5回」も崩れました。しかし、「最後まで」積みました。

最後まで積んだら、「それまでどうしてそんなに崩れたのか」疑問が解けました。

一つ、最初は石を買うお金がなくて「何でもない石」を買ってきて積みましたが、結局崩れてしまいました。

最後まで積んだら、<何でもない石>をもって「石の積み方」を学ばせてくださったのです。

<良い石>があっても、私に「石を積む技術」がなければ、<よい石>が無用のものだから、神様は「神様の構想」どおりい石を積むようにしようとして。まずは<何でもない石>で自分の手で石を積んで「技術」を学ぶようにさせました。

そしてその期間に<よい石>を手に入れるようにしてくださいました。

二つ、土木工事が終わったと思って、それ以上地面を掘りませんでしたが、それによって結局積み上げた石が崩れました。

最後まで積んでから見たら、急な勾配で石を積んで、危なかったのですが、地面の下から岩が出てくるまで土を掘り出させ、その上に石を「寝かせ」て置くようになさったのです。

三つ、神様は「天国の御座」の象徴として<野心作>を立てようと構想なさいましたが、5回目に立てても「御座の形象」ではないから、<御心>ではないので崩しました。

結局6回目に石を積んだ時は「大きくてよい石」を手に入れて、積みました。

2015年12月16日水曜日の御言葉

18年経ってから、野心作が天の御座の形象だということを悟った先生ですが、何度も何度も崩れても最後まで行なったからこそ、最高の造形を完成させ、なぜあんなにも崩れたのかという疑問もすべて解けました。

最後までやると、疑問が解け、天の傑作品を生みだすのです。

また、このようにもおっしゃいました。

神様も主も、最後まで従ってこそ、それまでどうしてそのようになったのか「疑問」が全て解け、どうして神様はそのようになさったのか「御心」も解け、それまで「損をしたもの」も全て補償してもらって、得るようになり過去の「誤解」も「無知」も全て解けます。

2015年12月16日水曜日の御言葉

人生生きていると、うまくいかないと思うこともたくさん出てくると思いますが、そこに御心があると信じれば、なぜあのときうまくいかなかったのかきっと、神様の構想があったと分かるようになるはずです。

そして、あの時うまくいってなかったからこそ、もっと理想的でよりよい天の御心を成しているのだなと悟るようになるのは、最後まで行なった時なのです。

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「最後まで」やる意味は、天の御心を悟るためなんだと悟らせていただきました。ハレルヤ!

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