摂理に来ても成長してる気がしない。原因を探ると…

学生生活

こんにちは!摂理の大学生koyaです。
摂理に導かれると大概は人格的になります。
ところが、私は摂理に来る前はほとんど「カッ」とすることはなかったのですが、導かれてからのほうが「カッ」とすることが多くなったような気がします。
今年の夏は「和睦」がテーマなのでこの性格を直さないとやばい!とこの頃焦っております。
信仰生活する上で性格も重要だと教えていただいたのでこれは切実です。。。

2016年7月27日 明け方の箴言
一番怖いのが「異性、同性」だ。その次が「性格」だ。

私の「カッ」とする性格、なぜ生じたのか原因を探るため、お祈りして深く考えるようになりました。
摂理に来て自分の性格で良く変化したところも含め様々に振り返ってみました。
確かに摂理に来て良く変化したところはありました。それは人への「関心」は遥かに持つようになりました。
これは私にとって奇跡だと思っているほどです。
祈っている中でどうやらここが関係しているような気がしたのでもう少し深く考えてみたところ、これだ!と感動が来ました。
関心が湧いてくるからこそ、人の弱点も見えてしまうのだなと。
そして、「カッ」とする性格は元々持っていなかったわけではなく、心の器の底に澱(おり)のように沈んでいたのだなと気づくようになりました。

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2012年7月10日 明け方の箴言
カッとする性格と憤りと血気がある人は、ちょうど器に澱(おり)が残っているように、心に澱がある人だ。きれいに洗ってなくせば、誰かが心をかき回しても、カッとする性格が上がってこない。

だから、摂理に来て後退しているのではなく、これもまた自分の成長過程なのだと知るようになりました。
摂理では御言葉で性格を直しなさいとよく言われますが、表面的な性格ではなくて根本的な部分から性格を直せるのがとても感謝なことです。
自分でも気づかない性格を摂理に導かれて、心の器をかき混ぜてくださって、澱が見えるようにしてくださったことに感謝です。
心の器、綺麗にしていきます。

2012年7月8日主日の御言葉「カッ」とする肉性は殺人的な心だ

いくら自分の言葉が正しいとしても、相手が知らないで言い張り、知ったかぶりをしても、自分が知っていることで、カッとする言葉で、兄弟の心を折ってはいけない。これは自分の兄弟の中の弱者を倒して、腕をねじりあげ、足で背中を踏むようなことだ。

2012年12月2日 主日の御言葉「ざま」

互いに人のざまを見て我慢してあげ、理解してあげ、教えてあげてこそ、それによって得るようになるし、御子主もお喜びになります。

※「ざま」は人の姿や行動を言う言葉で、「性格と矛盾」を言い、「短所と弱点」を言い、「自分の気に入らないこと」などを言います。