御言葉を受け入れる人と受け入れない人の違い

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こんにちは!摂理の大学生Koyaです!

 

最近、本当に価値のあるものはお金では買えないという話を聞きました。

 

例えば、身近な所で言えば、“命”です。

 

命はお金では買えないですよね。

 

では、命は何によって得るかと言えば、愛ですよね。

 

男女が愛を成してこそ、命を身ごもり、尊い新しい命を得ることができます。

 

命はお金では買えないですが、どんな物質よりもかけがえのない本当に貴重な代物です。

 

他にお金で買えないくらい価値のあるものといえば、“御言葉”です。

 

ある教会ではお金を払わないと御言葉を聞けない所もあるようですが、基本的には御言葉を聞くことにはお金はかかりません。

 

また、命よりも価値のあるものが御言葉です。

 

この貴重な御言葉を聞けている人は最高のチャンスを掴んだ人と言えるでしょう。

 

しかし、この御言葉と一度出会っても、受け入れる人と受け入れない人に分かれてくるのは一体なぜでしょうか?

 

神様は私たち人間に自由意志を与えてくださったので、御言葉を受け入れるのも受け入れないのも自由です。

 

もちろん、神様は御言葉を受け入れてほしいと切実に願っていらっしゃるのですが、、、

 

では、どんな人が受け入れるのが難しいのでしょうか?

 

聖句にはっきりと書いてあります。

 

ルカによる福音書5章37~39節
まただれも、新しいぶどう酒を古い皮袋に入れはしない。もしそんなことをしたら、新しいぶどう酒は皮袋をはり裂き、そしてぶどう酒は流れ出るし、皮袋もむだになるであろう。
新しいぶどう酒は新しい皮袋に入れるべきである。
まただれも、古い酒を飲んでから、新しいのを欲しがりはしない。『古いのが良い』と考えているからである」。
ここでは、新しいぶどう酒を御言葉に当てはめることができます。

そして皮袋は人間の心を表します。

 

皮袋が古い、すなわち、人間の心が古いということは自分の自己主観を持ち続けている人のことを指します。

 

そして、そういう人に御言葉を与えても、御言葉が心に入っていかずに破れてしまいます。

 

一方、皮袋を新しくした人、すなわち、自分の自己主観を捨てて新しい心に入れ替えた人は、御言葉をその心に注いでも決して敗れることなく、御言葉が心に満たされるようになります。

 

自己主観を捨てるか捨てないかで、人生の運命が左右します。

 

自分の自己主観は案外自分一人だけでいると気付かないものです。

 

最近、私も摂理の兄弟たちと話していて、自分の話していることに対して矛盾を感じるようになりました。

 

まだまだ自分には自己主観が強いと気づかされました。

 

天の新婦になるためには、一つずつ矛盾をなくしていかないとですね!

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