信じることで救われる
こんにちは。摂理の大学生Koyaです!
摂理の信徒たちにとって自然聖殿「月明洞」は最高の地ですが、少しばかりその話をしたいと思います。
月明洞には”薬水”が湧き出ている場所があるのですが、その水を体の悪い所にかけると治ると言われています。
しかし、ただ薬水をかけるのではいけません。
薬水をかけたり、飲んだりする前には必ず、真実かつ切実な心で祈らなければなりません。
そして、必ず治る!という信仰を持ってこそ薬水の効果が発揮されます。
私も去年からずっと治らなかった水虫を治したいと思っていたのですが、11月に月明洞に訪れた際に薬水をかけようと予定していました。
水虫のところに薬水をかけるためには靴を脱ぎ、靴下も脱がないといけなかったので、少し恥ずかしい気持ちもありました。
そこで人通りの少ない時間帯の明け方のお祈り会が終わった後に、薬水の所へ行き、誰にも見られないように薬水をかけました。
薬水をかける前にお祈りしたのですが、ただ自分が健康になって水虫を治したいというお祈りだけだと、天に申し訳ない気がして、私は感謝と喜びのお祈りを捧げました。
どういう祈りだったかというと、「たとえこの水虫が治っても治らなくても、主がこの薬水をかけてくださるからこれ以上の感謝なことはありません。今本当にうれしいです。」と真実に主に告げました。
このお祈りをして、患部に薬水をかけてその場は終わったのですが、かけたその日の夜、今まで痛かった部分が全く痛くなくなっていました。見た目は何も変わっていなかったのになぜか痛みだけはなかったのです。
本当に不思議でした。
月明洞から日本に戻り、1か月くらい経ちますが、水虫だった場所はほぼ治りかけています。
1年以上、病院にも行き、薬ももらい、闘ってきた水虫でしたが、主が手を加えてくだされば、こんなにも速く問題が解決するのだと深く悟るようになりました。
聖書にこのような聖句があります。
マルコによる福音書5章27節~34節
この女がイエスのことを聞いて、群衆の中にまぎれこみ、後ろからみ衣にさわった。
それは、せみて、み衣にでもさわれば、なおしていただけるだろうと、思っていたからである。
すると、血の元がすぐにかわき、女は病気がなおったことを、その身に感じた。
イエスはすぐ、自分の内から力が出て行ったことに気づかれて、群衆の中で振り向き、「わたしの着物にさわったのはだれか」と言われた。
そこで弟子たちが言った、「ごらんのとおり、群衆があなたに押し迫っていますのに、だれがさわったかと、おっしゃるのですか」。
しかし、イエスはさわった者を見つけようとして、見ましておられた。
その女は自分の身に起こったことを知って、恐れおののきながら進み出て、みまえにひれ伏して、すべてありのままを申し上げた。
イエスはその女に言われた、「娘よ、あなたの信仰があなたを救ったのです。安心して行きなさい。すっかりなおって、達者でいなさい」。
イエス様の時代、12年間長血をわずらっていた女が主に触れただけで病気が治ったのも、「主ならば絶対、治してくださる」という絶対信仰があったからです。
そのように、薬水を水虫にかけたあの時、主が薬水をかけてくださっているという確信を持っていたからこそ、主が報いてくださったのだと思っています。
治してくださったこの体をこれからも主に捧げていきます。
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