考えの次元以上は感じることができない
こんにちは!koyaです。
水曜礼拝の時にうちの教会の牧師が長野に行ってきたので、お土産を教会の皆に配ってくれました。
皆さんは長野県と言えば、どんなお土産を連想しますか?
私は長野について全く知らなかったので、どんなお土産が来るのかとんと検討がつきませんでした。
牧師がお土産を手に取り、「これは何でしょう?」と皆に問いかけました。
これです↓
これがなんだか分かりますか??
「大豆!」とか「スイカ!」とかいろんな回答が返ってきましたがどの答えも外れました(笑)
ある女性が、「ほおずき!」と言って、牧師が「ピンポーン」というくだりがあり、牧師のクイズはようやく幕を閉じました。
そうです。
ホオズキです。
私は見たことはなんとなく、ありましたがこの物体の名前は初めて知りました。
というか、食べれることも初めて知ったくらいです。
岩手という田舎から状況してきたのに、こんなことも知らないとは、無知なことって多いんですね~
牧師からホオズキを頂き、早速食べてみました。
「トマトっぽい味がする!」という感想が飛び交いました。
私も確かにこの味を表現するならトマトっぽい味がすると感じました。
この時、私は一つの悟りを得ました。
人は知っている範囲でしか味を表現できないし、知っている範囲の限界は超えることは出来ないのだなと。
鄭明析先生の箴言が思い出されました。
”<考え>も「視力」と同じだ。<自分の視力以上>は見ることができないように、<自分の考えの次元>以上は見ることができず、感じることができず、悟ることができない。”
鄭明析 明け方の箴言
ホオズキを食べた人たちは、トマトの味は知っているから「トマトの味がある」と表現することはできましたが、誰も「ホオズキの味がする」という人はいませんでした。
これは、ホオズキの味を元々知っている人がいないから、知っているものでしか表現ができなかったのです。
つまり、考えの次元がトマトまでで、誰もホオズキの次元に抜け出している人はいなかったということです。
このことから、考えの次元を高めれば高めるほど、見える世界はどんどん広がっていくのだなと感じるようになりました。
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