キリストと「Servant Leadership」

摂理・教会

 

近年、日本社会で注目されているワードの一つ、「サーバント・リーダーシップ(Servant Leadership)」

今日のこれを切り口に話していきたいと思います

 

キリストとの関連性とは如何に…?

 

 

 サーバント・リーダーシップ(Servant Leadership)

 

そもそも、サーバント・リーダーシップとは、何でしょうか。

 

サーバントリーダーシップは、ロバート・グリーンリーフ(1904~1990)が
1970年に提唱した「リーダーである人は、まず相手に奉仕し、その後相手を導くものである」というリーダーシップ哲学

と説明されています。

 

また、支配型リーダーシップの対局にあるものとして位置付けられ、支援型リーダーシップとも言われています。

※(引用元)NPO法人日本サーバント・リーダーシップ協会のホームページ

http://www.servantleader.jp/about_servant.html

 

 

 

 

 イエス・キリストのリーダーシップ

 

では、イエス・キリストはどのようにして多くの群衆を導いていたのでしょうか?

 

聖書を見てみると、

イエスは彼らに言われた、「わたしについてきなさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう」。 --マタイによる福音書4章19節

また弟子のひとりが言った、「主よ、まず、父を葬りに行かせて下さい」。 イエスは彼に言われた、「わたしに従ってきなさい。そして、その死人を葬ることは、死人に任せておくがよい」。  --マタイによる福音書8章21-22節

とあります。

 

これは、支配型リーダーシップ…か!?

と思われるかもしれません(笑)

 

たしかに、この言葉だけを取り出すと、かなり「強引なリーダー」のように捉えられますよね。

しかし、上記のイエスキリストの発言は、文字通りの意味として言ったものではありません。

これは、“比喩”を使った「決め台詞」です。

それまでのいろんな経緯を経た中で、最後に、相手の心をガシッと掴むために発した言葉なのです。

 

つまり、イエス・キリストがどんな人物だったのか、もっといろんな角度から分析する必要があります。

 

 

 分析① バックグラウンド

 

『ユダの地、ベツレヘムよ、おまえはユダの君たちの中で、決して最も小さいものではない。おまえの中からひとりの君が出て、わが民イスラエルの牧者となるであろう』」。  --マタイによる福音書2章6節

 

イエス・キリストは、ベツレヘムという地方の馬小屋で生まれました。上記の聖句にあるように、ベツレヘムは「小さいもの」と思われるような田舎の地域でした。

そして、当時の王・ヘロデからの抹殺から逃れるために、父ヨセフに連れられ、エジプトに移住します。

その後、エジプトから帰ってきてからは、ナザレという、これまた田舎の地域に住み、そこで育つようになります。

「この人は大工の子ではないか。母はマリヤといい、兄弟たちは、ヤコブ、ヨセフ、シモン、ユダではないか。」マタイによる福音書13章55章

また、大工の息子でした。大工というのは当時とても身分が低い職業です。

 

イエスは、表面的にみると、どこの出から分からないような田舎者だったし、学歴があるわけではありませんでした。

だから、いくら良い御言葉を伝えても、律法学者やパリサイ派の宗教指導者からは、到底認められず、むしろ異端視されました。

 

しかし、このような環境的に困難な中で生まれ育った境遇を通して、あらゆる人の苦痛や人生の悩みについて体験するようになり、

多くの人の問題を解くことができました。

 

それだのに神は、知者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選び、 有力な者を無力な者にするために、この世で身分の低い者や軽んじられている者、すなわち、無きに等しい者を、あえて選ばれたのである。

――コリント人への第一の手紙1章 28節

 

 

 

 分析② サーバント・リーダーとして発言

 

弟子たちが、自分たちの中で誰が一番偉いのか、議論しているとき、イエス・キリストは次のように言いました。

 

あなたがたの間ではそうであってはならない。かえって、あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、仕える人となり、あなたがたの間でかしらになりたいと思う者は、僕とならねばならない
それは、人の子がきたのも、仕えられるためではなく、仕えるためであり、また多くの人のあがないとして、自分の命を与えるためであるのと、ちょうど同じである」。  ――マタイによる福音書20章26-28節
人の子、というのはキリスト自身を指して言っている言葉です。
また、12弟子のうちの2人に対して、残りの10人が憤慨したシーンでは、
そこで、あなたがたのうちでいちばん偉い者は、仕える人でなければならない。だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるであろう。  --マタイによる福音書23章11-12節
 と言っています。
その後、イエス・キリストは、万民が神様とキリストの前で犯した罪をあがなうために、
自ら十字架の道を歩むようになります。

このように、イエス・キリストは、自らもサーバント・リーダーでありながら、弟子たちに対してもお互いにそうあるようにコーチングしていました。

 

キリストというと、

自分を「神」だと言って威張っているイメージ を持ってらっしゃったかもしれませんが、

そうではありません!

 

イエス・キリストの言葉と行ないを見てみると、キリストは「究極のサーバント・リーダー」であることが分かります!

 

次回は、続編を書きたいと思います^^

お楽しみに!

投稿者プロフィール

yuno
大学院生。弁護士を目指して勉強中です。
最近のマイブームは、アロマ。大阪在住。