経緯のあるところに歴史が広がる
明け方のお祈りの後、感動が下って、賛美したい気持ちになりました。
私は外で賛美するとき、だいたい近くの公園に行くのですが、今思えば一時期どれくらい通い詰めたか覚えていないくらいです。
今ではその場所に行くだけで主のぬくもりを感じるくらい私と主の経緯の場所になっているのを実感しました。
鄭明析先生はこのようにおっしゃいます。
全能なる神様は<御心がある所>に「目的を構想」なさり、<神様と経緯がある人>の肉体を着て行われます。
<過去、何の経緯もない所>には、神様も聖霊様も御子も「一時」は立ち寄って行かれるけれども、そこに「御心」を広げることはせず、「目的」を履行することはなさいません。
この御言葉を聖書の登場人物モーセの話を少し出して説明してくださったので、今回はモーセと神様の経緯によって成された神様の御心について探求するためモーセについて調べてみました。
まず、モーセの誕生から。
モーセが生まれたのは紀元前13世紀、エジプトでユダヤ人の子として生まれました。
しかし、その頃のエジプトではユダヤ人は忌み嫌われる存在であったため、生まれた赤ん坊は全て殺されるように命令されていました。
そこでモーセの母親ヨケベドは生まれたばかりのモーセを籠に入れてナイル川に流し、たまたま川遊びをしていたパロの娘が拾い、宮廷で王家の子として育てられるようになりました。
成人したモーセは自分の生い立ちを知り、奴隷を虐げられているユダヤ人を助けようとしたが、謝ってエジプト人を殺してしまったため、シナイ半島の遊牧民ミディアン人のもとを逃げました。そこでモーセは結婚し子供を持つようになります。
逃げた場所はシナイ山のふもとで羊を飼っていました。そこでモーセは神様からのお告げを受け、イスラエル民族を救うためにエジプトへ戻るようになりました。
エジプト王パロに神様の言葉を告げたが聞き入れなかったため、10の災いをエジプトに下しました。
<エジプトに下した10の災い>
- ナイル川の水を血に変え、魚を殺し水を飲めなくする
- 蛙の異常発生
- ブヨの異常発生
- アブの異常発生
- 疫病で家畜が死ぬ
- 膿の出る腫物の流行
- 雹で畑の作物が死滅
- イナゴ大量発生
- 3日間エジプトを暗闇にする
- 初子は人も家畜も全て殺す
10番目の災害を起こす際、神様は「子羊の血を門柱に塗れば災いを過ぎ越す」と告げた、これが過越しの祭の起源。
これらの災いによりエジプト王は神様を恐れ、イスラエル民族がエジプトを出ることを許し200万人の大群がカナンの地に向かうようになります。
しかし、紅海に差し掛かったところでエジプトの軍勢がイスラエル民族を殺しに攻めてきました。
そこでモーセは海に手を差し伸べると、紅海は二つに分かれ道ができ、その道を通った後、海は閉じてエジプト兵は海に沈められました。
エジプト脱出かか3か月が経ったところでシナイ山のふもとにたどり着き、モーセは十戒を授かることになりました。
<モーセの十戒>
- 他の神を信じてはならない。
- 偶像を作ってはいけない。
- 神の名をみだりに唱えるな
- 週の7日目を安息日とせよ
- 父母を敬うこと
- 殺してはならない
- 姦淫してはならない
- 盗んではならない
- 偽証してはならない
- 人の物をほしがるな
イスラエル民族は1年間シナイ山のふもとで過ごし、カナンへ向かうようになりましたが、ついてくる人たちがモーセに従順せず、神様を怒らせ40年間荒野で放浪するようになりました。
その後、モーセの後継者としてヨシュアが立てられ、イスラエル民族をカナンへ入れることができました。
少し、長くなりましたがざっとこんな感じですね。
モーセがエジプトから逃げて羊を飼っていた場所がなんと、後に神様から十戒を授かるシナイ山のふもとだったとは!!
モーセにとっては経緯の深い場所であったため、そこに神様の御心の歴史が広げられたんですね。
各自、深い経緯を作って御心の歴史が広がることを願います。
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