神様と一緒に量子場理論 Jan.-Week2

日々思うこと

最近は卒論を中心に取り組んでいるので場の理論のテキストはなかなか進められず。

 

そんな中でも勉強は進めないと、ということで

最近はSrednickiの25章を進めたのでその内容を共有しようかな、と。

 

本章は崩壊する不安定粒子を考えたときに得られる結果を

“Feynmanダイアグラムの数学的観点から”と”共鳴散乱の物理的観点から”の2つの視点で見ていく、というもの(該当部分のPPTを下に貼っときます)。

 

「崩壊する粒子」を勉強していてふと以前思ったことを思い出した。

「神様の愛はそれを受け止めてくれる人がいないと消耗する」と先生はおっしゃっていた。

 

「消耗」とは何か。

自分なりに考えたのは何の役に立つわけでもなくただ消えることかな、と。

消耗という言葉の正しい定義か、と言われたら一般的なものではないと思うけれども

とりあえず今ここで先生が言いたいニュアンスとはマッチしていると思っている。

 

“神様”というと完全なイメージがある。

そんな神様の愛が消耗するというのは御言葉を聞かなかったら考えられないことだろう。

でもそうだ、と先生はおっしゃる。

 

聖書には「物事には必ず連れ合いがある(イザヤ書34章16節)」とあるように

この世界は電場-磁場、電子-陽電子のようにペアで成立している。

だから素粒子の研究者は(聖書を知らなくても)超対称性なんていうのも考えるのだろう。

 

このように私たち人間のペアは神様であり

私たちがいてこそ、その愛を惜しみなく注ぐことができる。

そのように愛されている、とわかったら私たちも神様を愛さずにはいられないだろう。

 

毎日神様を掴み、愛して生きる生。

物理学をやりながらもこのような生を甲斐をもって生きられることに感謝(^^)

 

P.S. Srednicki 25章のPPTを置いときます。専門的ですが興味があったら是非。

共鳴散乱は僕自身の勉強不足でカバーしきれませんでしたが後で更新出来たらします(–;)

PPT:不安定粒子と共鳴

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素粒子兄弟
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素粒子物理学を研究しています。
物理学を「面白い学問」で終わらせないこと、そこから「人生のなかで核心となる精神」を学んで生きることが僕の哲学です。

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