野球から学ぶ「自分を捨てる」こと。

こんにちは!摂理の大学生Koyaです!

高校まで野球をやってきた私ですが、野球というスポーツの特性について深く考えてみました。

 

野球は指導者で非常に勝敗が左右されるスポーツです。

 

なぜかというと、野球以外に監督のサインを見ながら試合が進行していくスポーツは他にないからです。

 

1打席の中でバッターは1球ごとに監督のほうに目を向け、毎回サインを確認します。

 

もし、サッカーでパスを出す毎に監督のサインを気にしていたら試合に集中できません。

 

バントをするのか、ヒッティングをするのか、見送るのか、選手の判断に任せるのか、監督のサイン一つで1球のプレーが出来上がってきます。

 

いわば、野球ほど監督の思考が現れるスポーツはないのではないかと思います。

 

だから、選手は監督と心情一体にならなければいいチームにはなれないのです。

 

そこで選手にとって必要なこととは何かを考えたところ、「自分を捨てること」だなと思いました。

 

自分がああやりたい、こうしたいと思っていても過去も未来も味方も相手も見ながら采配している監督に心を合わせてこそチーム全体が強くなっていくのです。

 

だからこそ監督の力量がとても大事になってくるのですが...

 

野球の監督をやりたい人が多い要因はここにあるのかもしれません。

 

「自分を捨てること」、信仰生活するにあたってとても大事なことです。

 

新約時代、パウロはこのように言っていました。

 

兄弟たちよ。わたしたちの主キリスト・イエスにあって、わたしがあなたがたいつき持っている誇にかけて言うが、わたしは日々死んでいるのである。

コリント人への第一の手紙15章31節

 

人は自己主観、自分の固定観念を持って生きています。

 

神様の御言葉を受け入れるためにはこれらを捨ててないといけません。

 

そうすることで豊かな人生の実を結ぶことができるのです。

 

野球をやっていてよかったことの一つが、「自分の考えを捨てる」ことで生かされることを体験したことです。

 

野球は奥が深い。