「当たり前」に感謝を

こんにちは!摂理の大学生Koyaです!

就活のため電車移動の毎日を過ごしていますが、車内の人たちはだいたいスマホを使っているか寝ているかです。

携帯電話が普及していなかった時代の電車内はどんな光景が広がっていたのでしょうか?

その時代に電車を使用したことがなかったのでイメージが湧きません。

みんな寝ていたのでしょうか?

何か考えにふけっていたのでしょうか?

何かの作業していたのかな?

それとも、周りの人たちとおしゃべりでもしていたのでしょうか?

現在の私は電車内に入るとすぐにスマホを手に取り、ラインやメールをチェックしたり、ネットを開いたりしますが、もしスマホがなかったらと思うと自分は何をしていたのだろうかと考えるようになりました。

確かにスマホによって生活が便利になっていい事が多くなっていますが、そのことに関して普段から感謝できているかと思うと否でした。

熊本地震が起こってからいろんなことを考えます。

現地では水や食料、通信機器など普段から使っていたことがいきなり使えなくなっている状況です。

スマホに限らず、蛇口をひねればジャーと出てくる水、スーパーに行けば陳列された食料品、歩くための道路、暮らしの上で困った時の市役所……

自分で作ったものでもないし、自分で作ろうと思ってもこんなに秩序正しく美しく作れる気がしません。

私たち人間は一人じゃ生きられず、助け合って生きていることを忘れないためにも絶えず感謝していかないといけないなと思いました。

いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。全ての事について感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって、神があなたがたに求めておられることである。
テサロニケ人への第一の手紙5章16-18節