摂理学生 死の危険から救ってくださった経緯
こんにちは!摂理の大学生Koyaです!!
学生だと自転車に乗る機会が多いと思いますが、摂理の学生の移動手段もほぼ自転車です。
実は自転車に乗っていて私は死の危険にさらされたことがあります。
今日は私の肉体が死の危険から助かった経緯を書きます。
あれは忘れもしない2013年12月25日のクリスマス水曜礼拝に向かう途中でした。
当時私が大学3年生の時のことです。
私の大学は他の大学よりも長期休暇に入るのが遅くて、クリスマスになってもまだ大学の授業がありました。
自宅から教会まで自転車で25分程度かかるので、18:30には家を出ないといけませんでした。
授業が18時に終わり、一度自宅に戻りシャワーを浴びて、服装もビシッと決めていこうと思ったら、同居人の摂理の兄弟がまだ家にいました。
ギリギリの時間だったし、急いでいたので一人で行くのがいつもの私でしたが、なぜかその時はその兄弟と一緒に行こうという感動があり、18:30が過ぎてその兄弟のことを待っていました。
そして、二人で自転車で出発して、私が前を走り、その兄弟が私の後ろを走っていましたが、私はこの時「一緒に住んでるけど、こうやって一緒に教会に行くことがなかったな、共にする時間を主が与えてくださったのかな」と考えながら自転車をこいでいたのも覚えています。
しばらく二人で走っていましたが、私が反対側の歩道に横断しようとして、後ろも振り返らずに斜め横断しようとしました。
私は目で確認しないで、車の走っている音で車が来ているかどうかを判断する癖があったため、いつもそのようにしていました。(今思うと、なんちゅう命知らずなやつだと思います)
その時、後ろから「危ない!!」と兄弟の声が聞こえてきました。
瞬間、私は「え!まさか、車が来てるとは!」と思いながら急いで自転車のハンドルを切って元の歩道に戻ろうとしましたが、後ろから来た車のスピードが速くて完全によけきることができず、右腕と右ハンドルが車と接触して、バランスを崩し倒れこみました。
衝突した車もブレーキを踏みましたが、衝突後に止まって後ろを向いていたし、道路にブレーキの跡が残ってしまいました。
奇跡的に私は擦り傷もなく、無傷で無事でした。
車の運転手は気性が荒く、運転ももちろん荒くて、車にはいろんなところで事故を起こした形跡のあるような車だったので、本当に無傷だったのが奇跡でした。
運転手にはこっぴどく怒られ、警察も来て、車の修理代を請求されましたが、後日、運転手の方も冷静になり、修理代も払わずに済むようになりました。
あの時、同居人の摂理の兄弟を待たずに一人で教会に行っていたら、後ろからもろにぶつかって病院送りになっていたかもしれません。
そう思うと、本当に恐ろしいです。
自宅に戻った時、聖霊様が「ちょっと待った!」の感動を私に与えてくださったのだと強く感じています。
その「ちょっと待った!」によって私の命が救われ、今も健康に過ごせています。
心から感謝しています。
鄭明析先生は毎日、摂理のメンバーが交通事故に遭わないように、愛で祈ってくださっています。
だから聖霊の感動を受けれたのだと確信しています。
その祈りを無駄にしないためにも、交通ルールはしっかり守っていきましょう!
あれから、自転車を使う時は本当に気を付けて運転しています!!
「ちょ っと待った」この御言葉は命を左右し、成功と失敗を左右し、祝福と災いを左右し、運命を左右する御言葉です。 歩いているときに車が来るのが見えせんでした。そのときは、「ちょっと待った!」その一秒よりも短いその瞬間に「ちょっと待った!」と聞いて立ち止まった人は車に轢かれずに生きられるのです。
2015年1月11日主日「ちょっと待った」 説教者 鄭明析先生
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