早稲田大学Yae-御言葉が私達に必要な理由

摂理・教会

御言葉は私達に必要だから聞くべきだ。

と言っている私自身、幼い頃から御言葉を学んで信仰を持っていたわけではなかった。

幼い頃、私の周りにはキリスト教を信仰している人が多かったので、「神様を信じたら天国、信じなかったら地獄だから信じてね。」、「聖書を読んで教会に通ってね。」といつも周りからは言われていた。

そういう環境にいた私だが、神様はぼんやりとどこかにいるのかなと思うくらいで心から神様を信じてはいなかったし、聖書も厚くて難しいと感じていたので読もうという気にもならなかった。

また、神様を信じても信じていなくても生活は変わらないと思っていたので、なぜ神様を信じなければならないのか理解ができず、熱心に信仰を持っている人達が不思議で仕方なかった。

今考えれば、その当時の周りの人たちが私に言っていたことは一方的で、なぜ、どうしてそうするべきなのかは教えてくれていなかったのである。

そんな私が御言葉を聞くようになったのは大学1年生の時である。

当時私は大学に入ったものの、何をするべきかわからず、このまま過ごしていいのか悩んでいた。

そんな時尊敬している先輩から、「御言葉を学ぶと悩んでいることもきっと解かれるし、人生が変わるよ。」と言われたことがきっかけで、御言葉を聞き始めることになった。

御言葉を聞く前は半信半疑であったが、御言葉を聞いていくと、私が疑問に思っていたこと、悩んでいたことが本当に一つ一つ解かれていった。

中でもこの世の中はなぜ存在していて、私達人間はなぜ生きているのかについては自分の中でずっとわからなかったことだったのだが、御言葉を通してはっきりとその意味・目的について知ることができた。

また私達とは程遠いファンタジーのような話に思えた聖書の話も、私達に必要な真理のある話であったこと、そして神様が本当に存在していて、昔も今も人間を通して歴史を成しているということもはっきりと御言葉を通して知ることができた。

御言葉聞く前とは違って、今私がなぜこのように聞いて信じることができたかといえば、御言葉一つ一つが理にかない、筋が通っているため、真理がなぜ、どうしてそうなのかをはっきりさせることができたからである。

この世の中には同じく真理だと言いつつもお金、地位、名誉などのために自分の都合よく述べている人もたくさんいるが、そのようなことは真理ではないため、いずれ限界がくる。

だがこの御言葉は神様の御言葉だから真理であり永遠で非の打ち所がない。

だから確信して信じることができる。

ただ日本では過去に一部の宗教団体によって様々痛ましい事件が起こったため、よく神様を信じたり、御言葉を聞いたりすると聞くと、精神的に弱い人や頭のおかしい人がするものだと偏見や抵抗を持つ人が多い。

だがこの御言葉は人をダメにするものでも、頭をおかしくさせるものでもなければ、変な高価な壺を買わせるわけでも、巨額のお金を投資させるわけでもない。

私達人間一人一人が神様という存在を知り、信じ、最高の生を生きるためにこの御言葉はある。

御言葉を聞かず、何も信じないままでも生きてはいける。

ただ私達がなぜ生まれて生きているのかについて一生分からずに人生を終えてしまうことになる。

私達が生まれて生きていることは目的があり、その目的を知らなければならない。

その目的を悟った時、どう生きていけばいいのかという人間最大の悩みも解決され、御言葉を考えの軸にして人生を最高に良く生きていけるのだ。

そのために御言葉は私達にとって絶対に必要であり、聞くべきなのである。

投稿者プロフィール

Yae
Yae
早稲田大学在学中。

趣味はストレッチ、山登り、旅行、バトミントン、アンティーク雑貨集め、などなど!
好奇心旺盛なので、大学生のうちにいろんなことを経験しようと日々活動中(o^―^o)
世界のいろんな国の人たちと交流したいので、今は英語と中国語の勉強に力を入れています!