”研究”の姿勢 ー物事を深くみるためにー
最近の主日礼拝では先生が御言葉を話す前に先生のお弟子さんが準備となる御言葉を伝えてくださっている。今週の主日礼拝で先生のお弟子さんが話していたことに「どうやって先生をみるか」と言う話があった。
私たちに御言葉を教えてくれている先生から学ぶことは本当に多い。実際先生ご自身も物事を”よく見なければいけない”とおっしゃるが、この「よく見る」と言う言葉はあまりにもざっくりとしすぎていて「それはそうだ」と思っていながらもなかなか自分の中で深められずに終わっている人も多いのでは、と思う。
いったいどうしたら”よく”見れたことになるのだろうか。お弟子さんの今回の話はこのことに一つの答えを与えてくれるものになったと思う。何を教えてくださったのかと言うと、「先生がされていることを集中して見ること」と話してくださった。これをもっとわかりやすく言うなら先生の姿を”なんのために”、”何を考えながら”行なわれていることなのかを考えながら見なければいけない、と言うことだ。
私も実際に先生がスポーツをされている様子を生で見させてもらったことがあるが、これは本当にそうだと思った。ただ何も考えず目の前で起こっていることを目で追っても”楽しさ”はあっても何か大きなことをそこから学べたかと言うとそうではなかった。しかし「先生は今何を考えながらスポーツされているのかな」ということを念頭におきながら見たときに得るものの深みが違ったのだ。
物事を見る姿勢について、これは言い換えるならばいかに物事を”研究”するかと言うことだ。私は日常的に学問を学んだり研究をしているが研究というのは勉強と違って自分で問題を見つけ自分でそれを突き進めていくスキルが求められる。だから勉強と研究は似て非なるものだと思う。そのため、研究をする人に必要なのは「目の付け所」を養うということだ。
この点で先ほどの話はリンクする。学問でなくても日々人は研究を重ねて成長をするものだと思うが、そのためには研究すべき対象をよ〜く観察してどうしてそうなのか頭を使いながら見なければいけないのだ。
人間の脳は10%ほどしか使われていないという話はよくあるが、私たちは思っている以上に脳を動かせていないと改めて思う。ず〜っと頭を使うのも疲れるけど、「ここぞ!」というときには頭をフル回転させて研究してみては(^^)
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素粒子物理学を研究しています。
物理学を「面白い学問」で終わらせないこと、そこから「人生のなかで核心となる精神」を学んで生きることが僕の哲学です。
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