ぼくはぼくでいることで人に好かれたい。付き合っている人たちがいいから好かれるんじゃないんだ!ぼく自身の値打ちで好かれたいんだ!
日々思うこと
生活をする中で様々な人と接する、、、その中で自分はどれぐらい神様の願った生活をできてるのかなぁ?
って悩むことがある。
祈って答えが来るときもあれば来ないときもある。だからと言ってその行動が間違っていたのかというと違う、このように御言葉中心だと分かっていても軸がぶれてしまうことがある。
「正義は必ず勝つ」=「勝ったやつが正義」
言葉は脆い、時にはとてつもない力をくれる、またある時には前が見えなくほど惑わされる。
そして、言葉の影響は真理に近づけば近づくほど人を「助け」「殺す」僕らはこの摂理歴史にきて御言葉を当たり前のように聞いているが本当にその武器(御言葉)の正しい扱いをしなければならない。
先生を証するときも、「先生の経緯は、、、」「御言葉の価値は、、、」とただ凄さを言っても自分の行いが比例していなければ
意味がない。極的なことを言えば
御言葉を実践し証になる生活ができれば「聖書を学んだからさ」の一言で伝道できてしまう。
摂理に出会って御言葉を聞いてる「やったー引き上げられた」じゃなくて
御言葉をもらう事にプレッシャーをもっと感じて箴言一つでも実践するぞ‼︎っていう気持ちで生活しなければならない。
これこそが「自負心」だ
だから、まず第一に自分に惚れさすことが大事ですよね。
そしたら自ずと「先生」「神様」に惚れていくようになりますよね。
じっとしていたら、神様も自分を置いておいて、じっとしていらっしゃる。
だから神様の御心をもって押しなさい。引っ張りなさい。
6/12 明け方の箴言
神様に引っ張ってもらうんじゃなくて自ら行って神様を引っ張っていく。それが証の生なんだろう
投稿者プロフィール
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IT大学2年生
なんか神戸から広島に行けば摂理に出逢っちゃった笑
スラックライン、マジックなど大道芸もお手の物
普通だけど、映像、カメラと料理も好きです。