質問はスリルだ ~質問をためらってしまうあなたへ~
先日とある実験系の勉強会のため筑波まで行ってきた。
学部まで理論系としてやってきて、それまで実験的な知識が全くなかった僕にとって今回の勉強会はとても勉強になり、学問的にとても楽しい時間を過ごすことができてよかった(^^)
ところでこういう勉強会では質疑応答の時間が必要不可欠。勉強会に限らず社内での会議等、質問する機会は日常で結構ある。
でも
「別に質問がないわけではないけど、声が出ない…」
っていう人は少なくないはず。
「今いくか…?いけるのか…?」とか機会を伺っているうちに他の人が質問したり「なさそうですね」と言われそのまま不完全燃焼で終わるなんてこともあるのでは?(–;)
というのは僕自身がそういう風に周囲の状況を読みすぎてなかなか人前で質問ができないことが多かったのだ。
学問であれなんであれわからないことをそのままにするのはよくないこと。それは重々わかってるけど質問ができないんだ…!って葛藤する人の気持ちはよくわかる。
現時点で決して僕も人前で質問をすることは得意ではないし、プレゼンや講義の最中に質問(大学とかだと結構ある)するとかは到底できない。
しかし今回の勉強会でふと
「君の質問は鋭い質問だよね」
と声をかけてもらったことがあった。
”鋭い”っていうのは”良い”っていうことだけども、実は僕にとってこの言葉はかなりの褒め言葉でとても嬉しい。
別に良い質問をしようとしてするわけではないけれども、純粋に分からないところを質問した時にそう言ってもらえたのだ。
もちろんラフな雰囲気があったからこそなんだけど、このことを通して
質問をすることはこのようにスリルを感じることだ!
と思った。僕に御言葉を教えてくれている先生は時々「スリル」という言葉を使う。
「人生、もっと縮小したら日々の生活のなかで色々大変なことはあるけれども、どうせやるなら楽しく、格好よくやろう!」
という意味だ。それも自分1人でやるんじゃなくて、神様と「一緒に」やるんだ。そうしてこそ楽しい。こういう風に教えてくれた。
「物事楽しんだもの勝ち」と言ったりもするけれども、「質問すること」もその味を占めたら自分にとって嬉しく、スリルのあることになるのだ。
学問の世界だとよく”鋭い”を通り越して”きつい”質問や一言を浴びせられることもある。そうやって嫌な思いをした人も本当に多いと思う。
でも僕の先生はそうじゃなくていつも愛で接してあげることを教えてくれた。
そして相手が辛く当たってきてもいつも自分は愛してあげる。先生はそういう方なのだ。
だから質問するときはある程度の思いやりや節度がないといけないとも思うし、自分からそうしてあげることだなと思う。
「質問すること」について僕が思ったことを色々書いてみたが、少しでも質問の見方が変わったり分からないことを素直に解消できる人が多くなれば、と思う。
本ブログは神様を信じている学生による物理ブログです(^^)
ぜひ他の記事も読んでみてください〜
投稿者プロフィール
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素粒子物理学を研究しています。
物理学を「面白い学問」で終わらせないこと、そこから「人生のなかで核心となる精神」を学んで生きることが僕の哲学です。
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