大学生の私ー聖書を学ぶことで いい点が2つある

摂理・教会

世の中には、成功本や自己啓発本が、あふれている。私はそれがすごく好きだった。
読めばなんだかすごい人になれるような気がしてくるし、自分が変わるような気がしてワクワクする。そして未来に希望が持てた。

でも三日もすれば、忘れた。せっかくあがったモチベーションが持続しなかった。

一日二日行なってみても、それが続くことはなかった。そしてまた、新しい本に飛びつく。今度こそ私を変えてくれるだろうと。

そうして私が行きついた先は聖書だった。まさかの聖書だった。

聖書もキリスト教も自分には全く関係ないと思っていた人間だったのに。意味わかんないと思っていたものが文字通り「人生のバイブル」になった。

 

聖書を学ぶことで他の成功本と違う、いい点が2つある。

1つ目は「実践させる力がすごい」ことだ

成功本を読んでもはじめはやりたい!と頭で考えたり、少しだけはじめてみたりする。でも、すぐに三日坊主コースだ。(私の実践力が足りないだけかもしれないが笑)

しかし、聖書を学ぶと、基本ベッドで「いいな~成功したいわ~」と口だけ動かしている私を、起き上がらせる。

あの恐ろしい布団の誘惑に勝って、実践させる力をくれる。

「行動にうつしたい!やりたい!今やらねば!!」という気持ちが、心の奥底からふつふつと湧いてくるのが本当に不思議だ。読んでは、本棚にたまってインテリアと化してしまう成功本とは一味違うのだ。

 

二つ目は「どこにいっても、何をしても大丈夫だ」と思えるようになることだ。

聖書は人生の成功について教えてくれる本でもあるが、神様について教えてくれる本でもある。

そういわれると途端に日本では、「え~神様とか、宗教とか怪しいしなんか怖いんだけど」と抵抗感がある人もたくさんいるだろう。かくいう私も宗教に対しての偏見は半端なかった。

 

でもよく見なければいけないのは宗教そのものというより、その使い方である。
お金儲けのため、人をだますため、自分を敬わせるため、権力がほしいから。
そういう悪い目的で使う人がいるから、宗教=悪い、怪しいになってしまうのではないだろうか。

 

例えば、「包丁」も、人を刺せば犯罪になるし、それを使っておいしい料理を作れば人を笑顔にする。このように、物事はよく確認して本質を見抜かなければいけないと学んだのも聖書からだ。

 

また、神様は私といつもどこでもいっしょにいてくれて、助けてくれて、愛してくれる。文面にしてみるとなんだかピンと来ないかもしれないが、世界中どこを探してもそんな人間はいない。

 

どれだけ愛している恋人であっても24時間365日、一瞬も離れずに一緒にいてくれるなんて不可能だ。そしてその人が助けてくれるのにも、人間としての限界がある。

 

そして、自分か相手かが先に死ぬ。一緒に心中でもしない限り、同時に死ぬなんて不可能だ。そして、私は心中なんて絶対にしたくない。

 

それに比べて、神様は私たちが生まれた時から、死ぬまで、そして死んでからもずっと一緒にいてくれるというなんとも、スペシャルな存在だ。

 

私たちが神様のことを全く知らなくても見守ってくださるというなんとも優しすぎる存在である。世間で言われている「優男」なんて、本当にちっぽけに思えるほどだ。それを知って生きられることに、なんとも日々感謝しかあふれない。

 

そうやってどこに行っても一緒にいて支えてくれる存在がいるから「どこにいっても、何をしても大丈夫だ」と思える。この感覚を、普通に養おうとしたらものすごい時間がかかるのではないだろうか?

 

その境地に達するころにはきっと私はおばあちゃんだ。悟って、そしてすぐ死ぬ。今、大学生という若いときにこのような感覚をもって生きられることに感謝だ。

 

最後に

人生は「自分をつくることだ」と私に聖書を教えてくださった牧師先生はいう。本当にめちゃくちゃかっこよく自分を、神様と一緒に、つくっていきたい。

投稿者プロフィール

Gyu-don
Gyu-don
筑波大学生

喋るの大好き、踊るの大好き、食べるの大好きな女子大生。音楽がかかると我慢できずに踊りだす。

個性強めだよねと言われ続けて二十年とちょっと。でもみんな個性の塊だよね。